2020年11月現在
東京生まれ。版画家。多摩美術大学卒業。
田中一光に師事後、日本デザインセンターを経てフリーに。
1964年、若手アーチストとして、横尾忠則氏、柳原良平氏らとともに「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に抜擢され、世界初となるピクトグラムの開発にたずさわる。
1979 年新宿伊勢丹にて個展「木版画源氏物語」。1984 年シンガポール、ロサンゼルスにて個展。1990 年大日本印刷、GGG にて木版画「馬」展開催。
1993 年スリランカ政府依頼により、皇太子殿下・雅子さま御結婚記念版画作成、2001 年秋田ワールドゲームズ記念切手制作。03 年毎日新聞「香乱記」への作品提供。
主要活動のひとつである挿絵においては、海音寺潮五郎、吉川英治、司馬遼太郎、陳舜臣など往年の巨匠への作品提供にはじまり、近年は、沢木耕太郎「深夜特急」、宮城谷昌光「沙中の回廊」「香乱記」、山本一力「いすゞ鳴る」「おたふく」「五二屋傳蔵」などの新聞・週刊誌連載の挿絵を担当してきた。
宮城谷昌光氏、山本一力氏、安部龍太郎氏の直木賞(それぞれ1991年、2002年、2012年受賞)など、挿絵を担当した作家が文学賞を受賞することがたびたびあるため、一部では“文学賞受賞請負人”といわれることも。
2013年7月より、毎日新聞で好評連載中の宮城谷昌光・作『劉邦』の画を手がけている。
2013年10月、所ジョージ氏のTBSテレビ番組「スパニチ!所さんのニッポンの出番!」に出演。1964年に開催された東京オリンピックのデザインプロジェクトに参加し、世界中にイノベーションを巻き起こしたピクトグラムを開発した当時の秘話を語る。
挿絵画家で構成される「草鞋之会」(わらじのかい)のメンバー。
世界的なチェロ奏者の原田 禎夫(はらだ さだお)氏は実弟。
創薬ベンチャーの雄として知られるアリジェン製薬の社長で、一橋大学イノベーション研究センター特任教授の所 源亮(ところ げんすけ)氏は従弟にあたる。
2014年5月、『月刊スピリッツ』で、最澄、空海を題材にした、おかざき真里さんの新連載「阿・吽」(あ・うん)の連載開始にあたり、最澄と空海を解説したページに、空海が建立した「高野山 金剛峯寺」と、最澄が修行を行い、彼が点火したのち1200年経った現在も燃え続ける灯りが保存されている「比叡山 延暦寺」の作品画を提供。
2020年10月現在、版画家としての創作活動では以前にもまして、有名作家への多数の作品提供を行っている(トピックスご参照)。また、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催にあたり、前回(1964年)の東京オリンピックにピクトグラム・デザイナーとして参加した貴重な経験を後世へと語り継ぐべく、テレビ出演、各種メディアからの取材・インタビューなどを精力的にこなしている。
TBSテレビ『スパニチ! 所さんのニッポンの出番!』(2013年10月27日放送)にて、ピクトグラムの開発で世界中に影響を与えた「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に参加した当時のようすを語る原田。
画面右上は、原田の話に耳をかたむける所ジョージさん。
※くわしくは「1964東京オリンピック/デザインプロジェクト」、「トピックス」(トップページ)、「ブログ」をご覧ください。
◆「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」にピクトグラム・デザイナーとして参加した原田維夫&原田工房は、きたる「東京オリンピック・パラリンピック2020」を応援しています。
右は、1964東京オリンピックで、実際に使用されたピクトグラムの一部。ひと目で何を示しているかがわかります。原田が寄稿している「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」公式写真集(東京国立近代美術館・刊)より。