●ブログ 『板画師つれづれ日記』 - 板に魂を吹き込む版画家、原田維夫公式WEBサイト

2013年

10月

27日

◆東京オリンピック1964デザインプロジェクトの想い出~TBSテレビ『スパニチ!所さんのニッポンの出番!』にて当時を語る。

 10月27日(日)、原田維夫が、所ジョージさんが司会するTBSのテレビ番組【スパニチ!ニッポンの出番!】(14:00~)に出演しました。

 

原田が、新進の若手デザイナーとして、現在は世界中で使われているピクトグラムを初めて開発し、その後のオリンピックやデザイン界のみならず、社会生活や都市計画にまで大きな影響を与えたといわれる「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」に参加した当時のようすを語りました。

 

...あらためて、皆さん、「ピクトグラム」ということばをご存知でしょうか。

 

上の写真の背景にあるような「公共空間の案内などに使用される図記号」のことで、現在は街中でごく普通に見られるものですよね。でも、じつはピクトグラムは、「東京オリンピック1964デザインプロジェクト」ではじめて開発され、その後世界に普及したものなのです。

 

(だれもが知っている「トイレの男女マーク」は、じつはこのプロジェクトから生まれたものなんですね)

 

ピクトグラムの発明は、まさに世界のデザイン界に革命をおこし、あまねく社会に影響をあたえた一大イノベーションだったわけですが、原田は同プロジェクトにおける開発チームのメンバーとして活躍したのです。

 

番組では、原田の回顧をもとに、悪戦苦闘した当時のエピソードの数々がとりあげられ、再現シーンもいくつか紹介されたのですが、放送直後から、ファンや関係者の皆さまから「元気をもらった」「感動した」といった内容のお電話やメールをたくさんいただきました。

 

番組をご覧いただいた皆さま、ほんとうにありがとうございました。これからも原田維夫への応援をぜひよろしくお願いいたします!

原田維夫公式サイト管理人より

 

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2013年

6月

29日

◆あの沢木耕太郎さんに“指導”した若かりしころ

※産経新聞 創刊80周年記念 連載歴史小説特集/2013年6月20日付
※産経新聞 創刊80周年記念 連載歴史小説特集/2013年6月20日付

 2013年6月20日付の産経新聞の朝刊に、同紙80周年記念「連載歴史小説特集」で、昭和59年に連載が開始された沢木耕太郎さんの『深夜特急』が取りあげられ、原田が作成した題字も掲載されました。

 

 

●沢木耕太郎さんとの出会い ~二人とも若かりし学生の頃:

 沢木耕太郎さんとは、わたしがまだデザイナーで、毎日新聞社の『月刊エコノミスト』の表紙や中身のデザインを手がけていたころ同新聞社のオフィスで知りあいました。

 

当時、私は学生だったと思いますが、沢木さん自身もまだ学生で、エコノミスト誌に人物インタビューの記事を連載されることになって、毎日新聞社にやってこられた折に知りあったのです。

 

 

●あの沢木耕太郎さんを「指導」する:

 あるとき、沢木さんが、わたしに対し「自由業についてうかがいたい」と言ってくださったので、竹橋にある新聞社の地下の喫茶店でコーヒーを飲みながら話すことになりました。

※ご存じ沢木耕太郎さん。沢木さんのお名前のとなりに「原田維夫」とあります。
※ご存じ沢木耕太郎さん。沢木さんのお名前のとなりに「原田維夫」とあります。

当時はおたがいに学生で、沢木さんが年齢的に後輩だったこともあったせいか、生意気にも「文筆家になるのなら、何かひとつ、定職かレギュラーを持っていた方が良いョ」などと言ったおぼえがあります。

 

その直後に、あれよあれよというまに作家として有名になられてしまって、あとで「生意気なことを言うんじゃなかったナー」と後悔したりしたものです。

 

でも、そのときのわたしの名指導(迷指導??)があったからこそ、あの名作『深夜特急』の連載のさし絵の作者に私を推薦してくださったんだと思います(そう思いたいんですよネー)。

 

※関連リンク:

○企業再生請負人・戦略コンサルタント、田中 純の「経営・技術戦略実践講座」

「イノベーター作家と、歴史小説描写にイノベーションを起こした版画家の出会いに思う」

 

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